違うものは違う。

2003年12月5日
今日は超久々に友達と飲んだ。
鬱のとき一番のみたくなかった、あいたくなかった、大切な友達です。
なんていうんだろ、仲がいい+ライバルみたいな。
なんせ大学一年の頃から友達だからさ、
それで彼らは進路をはっきりとすっぱりと決めて。
私は決まらなかった。
私は分からなくなった。
私はおいてけぼりだ。
私はだめだ。
私は一人だ。
私はもういやだ
つらい
たすけて
死にそう、。

ってな感じで鬱が進行してったわけです。
ま、実際は進路だけじゃなくて恋愛とか大学での問題とか単位とかもうたくさんたくさん絡まってて
それで死んじゃったわけですが。

だから、なんだろ
こうして彼らと普通に飲めるようになったというのはなによりの、回復のしるしなのです。

普通に飲めるようにはなりましたが
なんか、今日はずっと彼ら二人とは違和感を感じて飲んでいました。
やっぱね、
自分は鬱になって考え方がちっと昔の私とは変わったんだなって思う。
なにより、頑張らなくなった。
なにより、自分は自分と思えるようになった。
前にもまして、マイペースになった。

それがいいことなのか悪いことなのか(社会的には)分からないけれど、
自分の精神衛生上とっても重要な変化だと思う。
自分が自分のことを大切にする、
自分で自分をいじめないことが
鬱にまた陥らないようにするためにとっても大事なことだと思う。

そして、上を狙いすぎない。
狙ったところで、回りはそんなに気にしてるわけでもないんだし
自分に余裕があるならまだしも
ないなら、
健康がとりあえず一番だというのが私のプライオリティーなわけです。
be healthy, be happy, and enjoy life.
それがまず一番だから、
それが満たされてて、さらに、自分に頑張る余裕があったなら、そのとき初めてちょっとだけ上を見てみようと思う。

更に、
上と自分が思っていることは必ずしもすごいことなのか?と問いかけたときに、
そんなにすごいことって早々ないわけで。
物事を図るときにいろいろな杓子定規があるから
どの定規で測るかによって
どれがすごくてどれがすごくない
とかいうのは
全然変わってくるんだと思う。

ホント、今日の友達の話は
男は金だとか
年齢とか何歳までに結婚とかさーー

ほんとどうでもいいんだよねそんなこと。

人間に大事なものってそんなどうでもいいことじゃなくってさ、
ホント辛いときに助けてあげたり助けられたり
無条件で愛してあげたり愛されたり
そういう実感とかさ。
そうじゃないの?

鬱になって私がぼろぼろになって化粧もできずに
真っ赤な顔して泣きじゃくってひどい顔してるのに
それでもぎゅっと抱きしめてくれて大丈夫だよって言ってくれた大事な友達とかさ、
いつも仕事から帰るとまっさきに私の寝てるベットに駆けつけてくれて今日は大丈夫?無理なら病院行こうか?入院する??っていいながらあったかい料理作りつづけてくれた親とかさ、
いつも笑顔で迎えてくれて支えてくれたカウンセラーの先生とかさ、

人間に大事なものってそういうものだよ。

よく、見えないものをみなさいって言うじゃん。
金なんて稼げば手に入るしすぐ消えるものじゃん。
結局モノじゃん。
モノより思い出でしょ。
そしてモノより大事な人でしょ。

だから私は
そういう見えない、買えないものを大事にする人になりたいんだ。

今日の飲みでは
ぜんぜんそんなこといわなかったけど。
でも、もう友達に迎合しなくなっただけ
やっぱり楽になったし
友達の言うことを「そうなんかなーー」とか受け入れちゃって自分をなくしてた頃と比べたら
今はちゃんと自分に大事なものをはっきり言えるようになっただけ
本当に楽になったと思う。

モノはどうでもいいといいながら
ものづくり産業のメーカーに就職するという

ジレンマ。

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